fc2ブログ
2011-01-17

怒涛の年明け

怒涛の年明け

久しぶりの投稿になります。
今年のお正月は慌ただしいお正月でした。
2日にいつも通り祖父母宅を訪問しましたが、じいちゃんは殆んど意識が無い状態。
でも、それもいつものことだろうと、飲み食いして帰宅。
が、明くる3日、救急車で搬送されたとの知らせ有り。
急いで駆けつけるも、取り敢えず状態は安定しているため、一旦帰宅。
父と母は、その他の兄弟姉妹とその日から病院に詰め、僕は6日より仕事始め。
8日に、入院した病院近くまで仕事で出かけたついでに、じいちゃんの顔を見に立ち寄る。
15分位しか居なかった。けど、叔母の話しかけに少し目を開けて反応する。少し安心する。
千葉に住む大叔父も今夕来るという。
9日朝、出勤の準備中に従姉妹から入電。すぐに来て欲しいとのこと。大慌て。
しかし、自分は朝一の仕事での約束を終えてから向かうことにする。
先に妻と子供達が向かう。
午前9時27分入寂す。
妻らは10分間に合わず、自分は全く間に合わず、途中の妻からのメールで病院ではなく祖父母宅に来られたしとの内容で、何と無く間に合わなかったのを知る。
到着した祖父母宅にはじいちゃんは戻っていた。
妻に促されてじいちゃんの顔を触ってみた。まだ少し暖かい。
遺体の横で集まった皆と一緒にご飯を食べる。叔母の作ったうどん。
じいちゃんとばあちゃんの子、2男3女、その連れ合い、孫6人、その連れ合い、ひ孫6人の総勢24人が狭い家に集まる。
泊れないので、午後3時過ぎに一旦帰宅。
翌10日午後6時よりお寺にてお通夜。そのまま北海道方式で、お寺の本堂に布団を敷いて眠る。勿論お酒飲みは散々痛飲する。
翌11日午前8時より告別式。
11時位には火葬場にて、最後の姿を見る。
お昼を食べて、午後1時骨上げ。
綺麗に灰になっている。頭蓋骨と大腿骨の太いところだけが、辛うじて形を残している。
皆で骨を骨箱に入れ、火葬場の職員さんが、親族の了承を取って、残った大きな骨を叩いて小さくする。
そのままお寺に戻り繰上げ法要。
位牌とまだ暖かい骨箱と遺影を持って家に帰る。
まだ、きちんと用意されていない祭壇にじいちゃんの入った骨箱を安置する。
てんやわんやのうちに帰宅、翌12日出勤するも朝から微熱。早退するも熱が下がらず翌日もダウン。昨日の朝4時時点でも38度4分の熱。
が、仕事があるので無理して出勤。

怒涛の1年の始まりはお別れから始まりです。
じいちゃん長生きしてくれて有難う。たくさん可愛がってくれて有難う。
思うようには、恩は返せなかったけど、残ったばあちゃんのことは心配しなくて大丈夫。
49日迄は下界をぶらぶらして、お別れがすんだら昇天してね。
また逢いに行くからね。さよなら、じいちゃん。

日記・ブログランキング趣味・個人ランキング
スポンサーサイト